2019年11月24日
首里城の経緯を調べて驚いたこと
尚巴志と懐機により、1429年に首里城の
本格的整備が始まりましたが、1453年の
「志魯・布里の乱」で全焼し、再建、1660年
に火災で全焼し10年後に再建されました。
1709年にふたたび全焼し、6年後に復元
された際には、薩摩の厚意による、材木1万
9300本の贈呈があったからであると記録
されています。
首里城が復帰20周年に復元された期成会の
文献を読んで驚きました。
廃藩置県の後、明治12年(1879年)、
琉球王国から琉球藩、そして、沖縄県となって、
首里城も、日本政府に明治42年(1909年)に、
首里城の管理は首里区に移管されました。
大正12年(1923年)、首里市は財政困難と
なって、首里市議会で首里城を取り壊す決議が
されたそうですが、詳細な経緯はもっと調べな
ければなりませんが、実に驚きです。
そこに待ったを掛けたのが、鎌倉芳太郎先生と
伊藤忠太博士であり、「国宝的貴重な文化財」で
ある首里城の修復保全を政府に訴え、国庫負担で
修復され、国宝として指定されました。
本格的整備が始まりましたが、1453年の
「志魯・布里の乱」で全焼し、再建、1660年
に火災で全焼し10年後に再建されました。
1709年にふたたび全焼し、6年後に復元
された際には、薩摩の厚意による、材木1万
9300本の贈呈があったからであると記録
されています。
首里城が復帰20周年に復元された期成会の
文献を読んで驚きました。
廃藩置県の後、明治12年(1879年)、
琉球王国から琉球藩、そして、沖縄県となって、
首里城も、日本政府に明治42年(1909年)に、
首里城の管理は首里区に移管されました。
大正12年(1923年)、首里市は財政困難と
なって、首里市議会で首里城を取り壊す決議が
されたそうですが、詳細な経緯はもっと調べな
ければなりませんが、実に驚きです。
そこに待ったを掛けたのが、鎌倉芳太郎先生と
伊藤忠太博士であり、「国宝的貴重な文化財」で
ある首里城の修復保全を政府に訴え、国庫負担で
修復され、国宝として指定されました。
Posted by 國場幸之助 at 22:55│Comments(0)