2011年02月06日

渡嘉敷マラソン

今年も渡嘉敷マラソンに参加しました。


沖縄市議会議員の辺土名和美議員と偶然会いました。渡嘉敷島の村長である座間味村長とは親戚同士らしく、改めて沖縄は全県一区の発想でやらなくてはいかん、と確信しました。国立沖縄青年の家の存続に関して、村長から強い要望もうけました。離島に人が生活出来るように、交流拠点は意識的に残し、そして、絶えず新たに作っていかなくてはならない。

悲しい知らせもありました。先の大戦時、渡嘉敷島の赤松隊長の下で副隊長として従軍していた知念朝睦さんが、ご逝去されたことです。知念さんは私の最初の県議選挙の際にも、80歳台というご高齢にも関わらず、ご支援を戴き、様々なことを御指南戴いたご縁もありました。本日、お別れ会があったそうで、ご遺体は本人の意思で、献体されるそうです。渡嘉敷でその知らせを聞いたのも、不思議な因縁を感じました。



Posted by 國場幸之助 at 00:24│Comments(0)
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