2011年01月30日

ニュースに一言(TPP)No.1

 TPPに反対する抗議集会が、那覇新都心で開催されました。

 
 しかし、そもそも、TPPとは、何か?

 
 TPPとは、「2006年に、シンガポール、ニュージーランド、

ブルネイ、チリの4ヶ国で始まった経済連携協定であり、

15年までに原則として100%の貿易関税の撤廃を

目指す」内容となっています。

 
 アメリカ、オーストラリア、ペルー、マレーシアが、参加を

表明し、またベトナムが、オブザーバーとして、参加を

表明しています。

 
 菅首相は、ダボス会議で「第3の開国」を掲げ、

PTTへの参加の意志を表明し、6月までに結論を

出すと宣言していますが、一言、言いたい。


 まず、民主党政権は、昨年3月の「食料・農業・

農村基本計画」で、食料自給率を50%に上げることを

閣議決定しました。

 
 しかし、農林水産省の試算では、TPPを締結すると、

日本の食料自給率が、40%から14%に低下すると

出ています。

 
 まず、閣議決定との整合性を問いたいし、小泉政権時の

新自由主義を、あれ程批判していた菅首相が、はるかに、

ドラスティックな変容を求めるTPPに参加せよという、変節

振りから、現政権にこの政治テーマを論じる資格が無いと、

先ず言いたい。


 次に、TPPを導入した際の影響は、農林水産省と、

経済産業省が打ち出した影響試算が、余りにもバラバラで、

判断しかねる。


 省益に基づいた数字でなく、国益に立脚し、政策判断に

資する試算値を広く国民に公開すべきだ。


 そもそも、TPPは、ブルネイやシンガポールという農業が

ほとんど無い国と、ニュージーランドやチリという、農業中堅国の

経済協定からスタートしているが、日本のような経済構造大国は、

想定されていない。


 「第3の開国」を高らかに宣言するのも結構ではあるが、

菅政権には、基地の過重負担や、主権を脅かされる国境離島、

そして、失業や貧困に喘ぐ地域などの、「不平等条約」的な

課題解決に、先ずは取り組んでほしい。

  

Posted by 國場幸之助 at 21:05Comments(0)

2011年01月29日

生活困窮者への配食ボランティア

プロミスキーパーズの山内牧師との縁で、与儀公園での配食ボランティアに参加しました。

生活困窮者に、食べ物や飲み物を配るという内容でしたが、ショックでした。

私は当初、ホームレスの様な方々をイメージしていたのですが、カレーを手渡ししながら言葉を交わすと、年金生活者、母子家庭の親子、障害者、高齢者など、いたって普通の方々が、足を運んでいるのです。


貧困問題は、極めて身近なところにあり、誰もがそこに陥るリスクを含んでいると感じました。


共助が必要、絆が大切と、言葉では聞きますが、実際にその行動を継続しているプロミスキーパーズの皆様が偉大に思えました。そこを支援していける政治も目指していきたい。
  

Posted by 國場幸之助 at 20:46Comments(0)

2011年01月29日

前原誠司講演会

幽霊会員ですが、JCに所属しています。私も関わる委員会が前原大臣講演会を企画していたということと、メンバーの結城さんや伊志嶺さんが、「必ず来るべきだ!」という声に押されて、会場に足を運びました。


質問形式が紙に書いて提出する形でしたので、私は、「国家主権を守る重要な政策は有人離島を守ること。そして、沖縄の国境離島はサトウキビの生産しか出来ない島々が多い。TPPの参加意思を表明しているが、海外でも売れる戦略作物だけではなく、国土を守る国防としてのサトウキビ等の農業死守をどの様に考えるのか」という質問を書きました。採用はされませんでしたが、重要な部分です。


あと、「基地と沖縄振興は別の問題。沖縄振興は沖縄へのお詫びと感謝」という発言を連発していましたが、それは不十分な言葉だと思います。地域振興や基地の対価としての予算措置という狭い視野からの発想でしかないからです。本来は、「沖縄振興は国益に直結する。だから、沖縄の皆さんも、沖縄から日本を救うという気概で、未来を切り開いてほしい!」と言い切ってほしかったと悔やまれました。


あと、普天間移設に関しては、「辺野古に移設出来なければ現状固定化でしかない」と言い切っていました。菅首相もオバマ大統領も国内政治基盤が脆弱で再交渉できる余地は限定されているとはいえ、安全保障を日本国民全体で考えようという大義が聞かれなかったのは残念です。


ただ、観光立国を目指しているというビジョンを力説していた点は共感できました。


いずれにせよ、現職外務大臣を招いての講演会ですから、その実現までの仲間の労苦には敬意を表します。
  

Posted by 國場幸之助 at 20:30Comments(0)

2011年01月29日

自民党一区支部新年会

自民党一区支部の新年会を開催しました。旧正月までは、新年会可能だと思います。ほぼ同時刻で、TPPの集会もあり、参加者の出席が懸念されましたが、多くの皆様にご来場戴きました。ありがたいことです。


議員関係も集会参加が義務の様なものでしたから、司会を務めて戴いた、屋良栄作那覇市議会議員には特に感謝です。


「勝利の為には、将に将足る器になり、政治活動と生き様の中で実践するしかない」という訴えと、「沖縄から日本を救う」というキャチフレーズ、そして、「自民党の立党の精神から保守政党の再生、新生を図る」、という主張をしました。


あと、私が会長を務める、沖縄芝居先達顕彰碑建立期成会の仲間が、舞台を大いに盛り上げて戴き、文化の振興を訴える貴重な機会にもなりました。


党員、党友の皆様からは、「次はチャンスだ、気を引き締めて全力でやろう!」と熱い激励を戴きました。


あと課題としては党員を増やすことです。例えると、株式会社自民党の株主は党員です。使命感を持って拡大に務めたい。
  

Posted by 國場幸之助 at 19:10Comments(0)

2011年01月28日

台北事務所訪問

 台北那覇事務所を訪問しました。

正式名称は、台北駐日経済文化代表所那覇分所と

いいます。

 
 かつては、中琉文化経済協会という名称でした。

日本との正式な国交の無い台湾にとって、代表所は、

大使館にあたり、那覇分所は、総領事館にあたります。


 ちなみに日本国内に台北代表所は、札幌、東京、

横浜、大阪、福岡と、那覇を含め6ヶ所あります。

今回の訪問の目的は、高校時代からの畏友である

赤嶺敬介君(京和土建社長)が、台湾における

土砂災害を防ぐ為に関りたい、という

切っ掛けからでした。


 対応戴いた、ハン振国領事部長も、

同年代ということもあり、懇切丁寧に、

アドバイスを戴きました。


 本年は、中華民国建国100年の節目の年です。

記念事業として、4月にイベントを開催し、

収益金を福祉団体に寄付する考えだと

話していました。


 台湾は極めて親日の国です。

私の姉夫婦と姪も台北に滞在して

いますので、益々親近感があります。

アジア太平洋激動の、今年と来年です。

だからこそ、台湾との関係、距離感を

改めて見つめ直したい。


 いずれにせよ、非常に重要な国です。

  

Posted by 國場幸之助 at 18:17Comments(0)

2011年01月27日

イベント告知

 来月2月8日、沖縄県立博物館・美術館にて、

「沖縄の問題ちゃーすが?」というタイトルの

シンポジウムにパネリストとして、参加します。


 ホームレス支援で活躍する、プロミスキーパーズ

の山内昌良代表の司会で、私の高校時代の恩師である、

沖縄尚学学院理事長、名城政次郎先生と、「政治、

教育、貧困」をテーマに、会場からの質問も含めて、

会を進行します。


 私は、「倫理と共助」をコンセプトに、論を

組み立てる考えです。「倫理」とは、「らしさ」

とも関係します。「政治家らしさ」、「教育者

らしさ」、「宗教家らしさ」。


 そして、「政治家らしさ」とは、「言ったことを

実現する、結果を出す」ことに尽きると思います。



 さらに、共助とは、助け合い、支えあい、人間の絆。

貧困の深刻化は、無縁化とも深く絡んでいると

思います。そこから回復を目指していかなければ、

根本解決にはならないと見ています。



  

Posted by 國場幸之助 at 16:47Comments(0)

2011年01月24日

自民党大会~信なくば立たず~

  本日は第78回党大会でした。

 昨年のこの時期は、まだ正式の支部長に

 選任されていなかったので、2年ぶりに出席しました。

 

  最大の見せ場は、なんと言っても、

 谷垣総裁の年頭演説です。

 その内容は、今年こそ、解散総選挙に追い込むという

 気迫に満ち溢れたものでした。

  

  そして、演説の締めは、「信無く場ば立たず」。

 いうまでも無く、「論語」の有名な一節です。

 孔子の弟子、子貢が政治の要諦を孔子に尋ねた際、

 「兵」、「農」、「信」を上げ、その中で、もっとも

 大切なものを、「信」であると話した故事が語源です。

 総選挙で政権を奪還するという使命がありますが、

 出来もしない公約を羅列することの愚かさを、

 先に宣言したと私は解釈しました。


  ちなみに、昨年の谷垣総裁の締めの言葉は、

 「孟子」の「千万人と雖も吾往かん」であると聞きます。

 「悪党」の「悪」には、エネルギーがありますが、

 「善党」という言葉はあまり聞きません。

 しかし、同じ儒家でも、「中庸」の印象の強い

 「論語」と異なり、「孟子」には、生命力や狂挙さを

 感じます。私は、孟子には「善党」という印象を強く持ちます。


  谷垣自民党は、「昨年は過激」に、

 「本年は信頼」が、キーワードであると捉えました。


  私は、「将に将足る器とは」を追求し、

 実践する一年にしたいと考えています。
 

  今回は党大会を通して、「主権と領土」が、

 主要テーマでした。青年局女性局合同研修司会や、

 党大会の議長団に、沖縄の島尻あいこ女性局長や

 島袋大青年局長、そして、北方領土を抱える北海道、

 竹島を抱える島根県、対馬の長崎県の議員を、

 前面に出す演出がありましたが、

 非常に良いものだと思いました。

 国境離島を守ることは、国家主権の基礎であり、

 政治の原点そのものです。
 
  

Posted by 國場幸之助 at 00:21Comments(0)

2011年01月23日

価値観あっての政策

今日は自民党大会です。昨日は党本部で、政策ワークショップが開催され、「領土」、「農業」、「経済成長力」、「児童虐待」、「高等教育」、「安全保障」などが、豊富に開催され、若い一般参加者が特に多く、有意義な企画だと思いました。


私も色んな会に顔出しましたが、特に印象に残ったのは、「児童虐待」のシンポジウムにおける馳浩代議士の発言でした。「社会全体で子供を育てると言う考えは間違えている。子供は親が家族が育てるもの。そこがベースにあって政策立案すべし。待機児童もゼロを目指すが、三歳未満の子供を保育園に預ける親御さんは申し訳ないという気持ちを持ってほしい。そして、虐待や貧困の温床となる離婚に対しては、両親が共同養育義務責任を果たすべき」。


多様化する家族の形態に対応するのが政策ではなく、あるべき姿に一ミリでも近づけるのが、家族政策に限らず森羅万象の政策の根幹に添えるべきだと考えています。
  

Posted by 國場幸之助 at 08:21Comments(0)

2011年01月22日

テンペストツアーから

 ツアーでは、波の上、護国寺、孔子廟、

三重城、真玉橋、識名園、首里城などを、

訪問しながらそれぞれの場面で、

歴史家、上里隆史さんの「テンペスト」朗読と

解説で、進められました。


 私が、本日、「目からうろこ」であった知識を

羅列してみます。


 〇久米村は竜の形の地形をイメージした都市。

  泉崎交差点の小さな公園は、竜の頭を想定している。

 〇13カ国をマスターしていた語学の天才でもある、

  医師、ベッテルハイムは、護国寺に滞在しながら

  うちなー口で、キリスト教の布教を試み、次女に、

  「リュウチュウ」という名をつけていた。

 〇沖縄はおなり神信仰の影響もあり、女性神が

  大事にされていた。

 〇琉球仏教は、真言宗と臨済宗が主流。

 〇三重城はもともと、海賊対策の為の

  大砲を打つ場所であり、進貢船等の見送りと
 
  遥拝の場所であった。

 〇三司官は、「尚」、「王」、「毛」、「馬」の

  4つの門中が多い。ちなみに、三司官は、試験でなく、

  投票で決めていた。

 〇評定所文書は、琉球王国の外交政策を解明する

  貴重な資料であったが、関東大震災で、

  ほとんどの文書が焼け、10%ほどしか

  残っていない。

 〇琉球屋敷にある「ふくぎ」は、防風林ではなく、

  風水の関係で、「氣」を漏らさない為に植えた。

 〇中国からのサッポウシは、約500人。半年も

  滞在するが、退屈させない為、多種多様な

  教養人がもてなした。

 〇識名園や首里城には、トイレがなかった。

  小便筒や糞箱があった。

 〇「守礼之邦」の意味は、中国への忠誠。

 〇侍と農民を区分する基準は、首里王府が

  認める系図が存在するかどうか。 

  
 その他、多くのことを学びました。

後、首里城には、尚巴志をはじめ
 
第一尚氏の存在が非常に薄いと、

疑問を感じました。 
  

Posted by 國場幸之助 at 00:43Comments(0)

2011年01月21日

テンペストツアー

 本日、「テンペスト」の原作者、

池上永一氏公認の「テンペスト」沖縄体験ツアーに

モニターとして参加しました。

 

 ツアーのガイドは、監修にもあたった新進気鋭の

若手歴史家、上里隆史さん。このツアーでガイドを

務めるのは、最初で最後だということで、非常に

ラッキーでした。

 

 まずは、貴重な機会を提供していただいた、

てぃーだスクエアに感謝します。


 
 歴史家の上里隆史さんの目から見ても、

「テンペスト」は単なるエンターテイメント

小説ではなく、歴史的史実を織り交ぜた、

優れた作品だと話していました。


 
 「エデュメント」という言葉があります。

「エデュケーション(教育)」と、

「エンターテイメント(娯楽)」を組み合わせた

造語ですが、今回のツアーはまさに、それでした。

歴史は本来極めてエキサイティングなものですが、

その史実に生命力を与え、今を生きる人々を

鼓舞するには、優れたストーリーテーラー、

つまり、物語の語り部が必要です。

池上永一さんが果たしている役割は、

非常に大きなものがあると思います。


 あと、上里隆史さんレベルではないにせよ、

歴史の知識と感動を提供し、ガイドとして、

生計を立てることが出来る雇用形態を確立すれば、

沖縄観光の新しい領域を開拓することが出来ます。



 その可能性と希望を感じさせる、

実に見事な、ツアー企画でした。


 

   

Posted by 國場幸之助 at 23:58Comments(0)

2011年01月20日

明日の楽しみはテンペスト(嵐)

ティーダスクウェアの企画の、勉強会、「テンペスト」ツアーに参加します。

ここに沖縄の未来、希望、知恵が凝縮されています。
  

Posted by 國場幸之助 at 22:36Comments(0)

2011年01月19日

政策作りのプロセス

沖縄自動車道を管理している関連会社に勤める後輩から、ブリーフィングを受けました。歌とサッカーを愛する、披露宴前の好青年です。高速道路の無料化政策以降、現場の感覚で、事故が二倍に増した感じだと、力説していました。


管理職、既得権益者の意見を汲み取った政策か、利用者、消費者、生活者、現場の声を汲み取った政策か。


自民党の復活は、後者の思いを吸い上げた後に、到来すると考えています。野党だから、浪人だからこそ出来ることだと思います。今までの自民党は、業界団体の役員、役人、メディアの意向を把握することに専念しすぎであり、現場の大衆、民衆、国民の声を拾う配慮に欠けていた感がします。


予算が余りあるなら是とされていた政策でも、時代や状況が変われば、政策作成のプロセスも基準も変わらざるを得ない。
  

Posted by 國場幸之助 at 07:54Comments(0)

2011年01月16日

薬剤師会新年会

従姉妹や伯父に薬剤師がいて、県議会議員の頃から、薬剤師会とは、深い縁があります。


今晩の新年会での祝辞の中で、「民主政権は、医療費をOECD並みに上げると公約した。仮にそれを実現すると、診療報酬が約二割上がることになるが、実際は0.19%しかアップしていないし、ジェネリック薬品関係を差し引くと0.03%しか上がっていない。医療は平時の安全保障。ぜひ今後の改定動向を注視したい」という挨拶を聞き、医療は安全保障と同様に、政権交代により変動するものではなく、超党派で制度設計するものだと思いました。


大学の薬剤師専科は六年制度に改善され、後数年で、新制度下での初の卒業生が誕生します。薬剤師会は、若い世代、同世代も多く、活力も感じます。ともに研鑽し、「健幸長寿社会」の実現に、邁進したい。
  

Posted by 國場幸之助 at 19:36Comments(0)

2011年01月15日

菅改造内閣

年末に再読したマックス・ウェーバーの「職業としての政治」に、「政治家は動機はどうであれ、結果を出すのが政治家であり、初期の理想がどんなに高尚でも、実現できなければ、結果を出せなければ、政治でもなんでもない」という、主旨の文章がありました。


社会保障を中心とした財源の確保は、消費税を含めて議論していかなければならない領域であり、超党派での取り組みが必要になります。しかし、菅首相は、党大会で、「野党が超党派協議に参加しないのなら、歴史に対する反逆だ」等の極めて傲慢な発言を繰り返すだけで、国難を打破する使命感を感じない。


かつて小渕内閣の野中広務官房長官は、自由党との協力を取り付ける際、「小沢代表にひれ伏してでも」という言葉を使いました。



政治の成熟度は、言葉の成熟度だとも定義できると思います。


私自身も猛省かつ修行が必要であると痛感しますが。



しかし、驚きは税と社会保障を特命で担う与謝野馨経済財政相です。


わずか一年数ヶ月で、自民、たちあげれ、そして、民主という政党遍歴も違和感があります。それ以上に、与謝野馨氏を、「年金制度を一元化し、すべての人に月額7万円以上受け取れるようにする」という政権交代の原動力となった公約の実現を任せた菅首相には、怒りを禁じ得ない。年金にもっとも関心を持つ世代、つまり、60代の有権者は、約80%前後、投票に行く世代であり、子供手当て同様、潜在的有権者を掘り起こす核心に触れた政策でもあります。


その重要な公誠(公約、マニフェスト)の実現を、アウトソーシングする、更には、野党が反発するリスクを抱える与謝野馨氏の起用は、結果を出すというウェーバーの責任倫理から程遠い印象を持つ改造内容であると私は観ています。
  

Posted by 國場幸之助 at 17:59Comments(0)

2011年01月15日

「尖閣の日」を踏まえ

日本が実行支配をしている尖閣諸島を、「尖閣諸島開拓の日を定める条例」制定を行わなければならない程、東シナ海の領土問題は深刻化しました。


国境離島を守ること、万国津梁、海洋国家という国是を守る為にも、海域に対する意識と戦略と政策を変えなくてはなりません。


昨日の式典で、自民党からは、「国勢調査権を利用した国会議員による尖閣諸島への上陸、調査をする」という宣言もあったようですが、守るべきは島だけでなく、島々を含む広大な海域もあります。


石垣市の条例制定を踏まえ、今度は国が行動する番です。
  

Posted by 國場幸之助 at 16:14Comments(0)

2011年01月12日

崎山崇源老師

首里の一角に、興禅寺という寺があります。


昨晩その寺で、生まれてはじめて座禅を組みました。


張り詰めた空気の中で、久々に、怖さと深さと心地よさを同時に体感という、不思議な経験でした。


崎山老師の話ははじめて拝聴しましたが、実に、見事な高僧です。


今現在、齢90歳だそうで、もっと早くで会いたかった大人物だなと、悔いてます。


沖縄のダライ・ラマでしょう。

私が愛読する「致知」という日本最高峰の人間学の専門誌がありますが、その中でも既に、崎山老師は登場していました。
  

Posted by 國場幸之助 at 23:30Comments(0)

2011年01月12日

お薦めの本

論語と並ぶ自らの心を磨ける本です。「菜根譚(さいこんたん)」さっそく、名言音読サークルで、活用します。
  

Posted by 國場幸之助 at 23:02Comments(0)

2011年01月10日

38歳!

本日、晴れて38歳になりました。


有り難いことです。


仲間、後輩、知人、友達、同志、支持者、親友、師匠、先輩、スポンサー、悪友、そして、ファミリー、様々な方が、観ているし、応援しているのかと思うと、改めて、両親、先祖に手を合わせて感謝です。


選挙で艱難辛苦を経験すると、匿名の支持者、勝手連的な選挙参謀が厚く、深く、多くなります。


たくさんのおめでとうメールの中で、「選挙は、政策二割、情八割。情には友情、愛情とあるが、一番選挙で強いのは、同情!カンバレ!國場幸之助次期代議士!」という、温かい匿名メールも戴きました。


次期は絶対に勝つ!


それが、匿名メール様への恩返しにもなるのかなと思いますので。


まだ全ての方に、お礼の返事は出来ていませんが、本当にありがとうございます!
  

Posted by 國場幸之助 at 22:11Comments(0)

2011年01月09日

「珊瑚舎スコーレ」での意見交換会

 「珊瑚舎スコーレで民主党の幹事長を交えて

意見交換会があるから、ぜひ顔出して話を聞いて

ほしい」と、叔母から話を聞き、与儀の教室に足を

運びました。

 
 戦後処理は、不発弾や基地や遺骨収集だけではなく、

戦中戦後教育を受けることが出来なかった先輩たちへ、

教育の機会を提供することもあると痛感しました。

珊瑚舎でのシンポの最中、トイレに行こうと思い、

さまよっている時、偶然教室を観たのですが、

「あいうえお」の五十音表が張られているのは、

非常にショックでした。

 
 沖縄を人作りの万国津梁の拠点にしたいと、

私は絶えず念じています。そして、交流の前提として

足元の人づくり、何歳になっても、学びたいと思う、

向上心溢れる先輩方の環境を政治が如何に、

どの様に、サポートできるのか?

今後の調査対象として、探求します。


 民主党幹事長は、珊瑚舎や遺骨収集を

視察したと、報道で知りましたが、

ポイントついた視察だと思います。

他党でも、良きもとは良いと認める、

是々非々の政治を全うしたい!
  

Posted by 國場幸之助 at 22:39Comments(0)

2011年01月09日

「組踊りとは何か」シンポ

 「組踊り」が、ユネスコ世界無形文化財に

登録されたことは、甲子園の春夏連覇と並ぶ、

昨年の大きな喜びでした。

 
 組踊りは、中国からの冊封使を歓待する目的で、

玉城朝薫により、1719年初演されました。

 
 組踊りは、琉球王朝の「国徳」の高さと

文化水準の高さを誇る外交上の非常に重要な、

国家戦略でした。文化を基軸とした外交。

資源も武器も限られていた沖縄が、

独立を守るために、流してきた汗と涙と智恵には、

本当に頭が下がります。


 薩摩振興は1609年。

 組踊りの誕生は1719年。

 文化の成熟には1世紀掛かります。


 そして私は、沖縄は、フランスのように、

文化とブランド力を基軸として国際社会での

存在感と影響力を発揮すべきであると思います。


 私は今、沖縄芝居を顕彰する、碑を建立する

会長をしております。今日の昼、地元も民放で、

私の会を特集した番組が放送されました。

電話やメールの反応は凄いものがありましたが、

その芝居の源流である組踊りを、もっと学んで

いきたい。

 国立劇場でのシンポは、ハイレベル

でしたが、刺激になりました。

次回は3月12日にに予定しているそうです。  

Posted by 國場幸之助 at 22:22Comments(0)