2025年03月27日
国民保護と疎開の歴史
南西諸島の国民保護PTが党内に
立ち上がるのは心強い限りです。
公共インフラとシャルターの充実も
踏まえ、国民保護計画は、6日間で12万人、
を先島から九州に避難させる計画です。
1日約2万人の域外輸送力を確保する想定
ですが、受け入れ先の生活環境や事態認定に
伴う輸送手段の確保等、まだまだ課題は
山積です。
沖縄戦の際には、1944年7月7日、政府は
サイパン玉砕の事態を踏まえ緊急閣議を開き、
沖縄県民の県外疎開の方針を決定しました。
沖縄本島、石垣島、宮古島、奄美大島など
から老幼婦女子を九州へ8万人、台湾へ2万人
疎開させる計画を定めた。
翌年3月の沖縄戦が始まる前までの約8か月で、
出港した疎開船は187隻、約6万人が本土に
出て行ったそうです。
その間の一般疎開は、台湾を除いて
約7万3000人にとどまり、沖縄県が目標としていた
10万人は実現しませんでした。
(沖縄県教育委員会発行
「沖縄県史 各論編 第6巻 沖縄戦」
2017年3月10日発行)
その教訓を踏まえて考察と計画策定が大切です。
立ち上がるのは心強い限りです。
公共インフラとシャルターの充実も
踏まえ、国民保護計画は、6日間で12万人、
を先島から九州に避難させる計画です。
1日約2万人の域外輸送力を確保する想定
ですが、受け入れ先の生活環境や事態認定に
伴う輸送手段の確保等、まだまだ課題は
山積です。
沖縄戦の際には、1944年7月7日、政府は
サイパン玉砕の事態を踏まえ緊急閣議を開き、
沖縄県民の県外疎開の方針を決定しました。
沖縄本島、石垣島、宮古島、奄美大島など
から老幼婦女子を九州へ8万人、台湾へ2万人
疎開させる計画を定めた。
翌年3月の沖縄戦が始まる前までの約8か月で、
出港した疎開船は187隻、約6万人が本土に
出て行ったそうです。
その間の一般疎開は、台湾を除いて
約7万3000人にとどまり、沖縄県が目標としていた
10万人は実現しませんでした。
(沖縄県教育委員会発行
「沖縄県史 各論編 第6巻 沖縄戦」
2017年3月10日発行)
その教訓を踏まえて考察と計画策定が大切です。
Posted by 國場幸之助 at 17:26│Comments(0)